弦楽四重奏曲第10番「ハープ」・第11番「セリオーソ」は、ベートーヴェンの中期作品群…「傑作の森」の終盤に作られた曲です。
この2曲は、ベートーヴェン30代の劇的なドラマを乗り越えて作られた、いくぶん大人びた作品たちです。
彼の中期作品のなかでは比較的コンパクトで、聴きやすく、隠れたファンも多いです。
この記事では、バイオリン歴35年以上・コンクール入賞歴ありの筆者が、ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第10番・第11番について解説します。
2曲のバックストーリーはどんなものか。魅力の源泉は何なのか。
これらを簡単に解説し、聴きどころや演奏面についても紹介していきます。
簡単な概要まとめ
- 数々の失敗・批判 そして回復
- よりコンパクトな楽想に
- 音の密度が控えめで、聴きやすい
- 中上級者向け(ハーモニーの複雑化)
ベートーヴェンの人物像
まずは彼の人物像を紹介します。
ベートーヴェンは、1770-1827年に活躍した作曲家です。
古典派とロマン派の間の時期です。
当時はフランス革命の真っただ中で、激動の時代でした。
彼の性格は、とても気まぐれで、かんしゃく持ち。
生涯で20人近くもの女性に恋をしたり、はたまたパトロン(支援者)に一曲弾いてと言われただけで激昂したりと、彼に振り回される人も多かったと言われます。
また、彼は「難聴」と闘った作曲家です。
彼は、青年期に難聴の事実を受け入れ、乗り越えることで、作曲家として吹っ切れました。
そして「傑作の森」と言われる数々の中期作品を生み出していきます。
今回の弦楽四重奏曲「ハープ」「セリオーソ」は、1810年前後…この「傑作の森」の終盤に作られた2曲なのです。
弦楽四重奏曲第10,11番のバックストーリー
失敗・批判による失意、そして回復
中年期のベートーヴェンは、創作意欲にあふれており、交響曲第5,6番「運命」「田園」、弦楽四重奏曲第7~9番「ラズモフスキー」、バイオリン協奏曲などをつぎつぎに生み出しました。
しかし、これらの初演はいずれも成功しませんでした。
交響曲第5,6番「運命」「田園」は、当時あまりに奇想天外な作風でした。
しかも2曲を同時に初演したため、上演時間がとても長く、聴衆には受け入れられませんでした。
弦楽四重奏曲「ラズモフスキー」は、当時は演奏不可能なほど難度が高く、当時からすると常識外れの長さのため、これまた受け入れられませんでした。
バイオリン協奏曲に至っては、本番の2日前までソリストが楽譜を入手できず、それはひどい出来だったと言われます。
初演の不評だけでなく、彼はオーケストラのリハーサルで、
「難聴のベートーヴェンの前では演奏できない」
と、自らの指揮を批判されてしまいました。
さらに、フランス革命による世情不安で、彼の収入は減少し、経済的にも困窮していました。
こうした、数々の初演の失敗、彼の指揮ぶりへの批判、そして経済的不安により、ベートーヴェンは失意に沈み、最終的にウィーンを去ろうとします。
しかし、当時の彼のパトロン…支援者たちは、彼のことをウィーンに必要な作曲家だと説得し、強く引き止めました。
また、ベートーヴェンがウィーンに留まることを条件として、多額の終身年金(年額約数千万円の価値)を約束してくれたのです。
これにより、ベートーヴェンは精神的にいくばくか回復し、創作意欲も取り戻しました。
この後、支援者のひとりであるロプコヴィッツ伯爵の依頼で、弦楽四重奏曲第10,11番が作曲されたのです。
よりコンパクトな楽想に
弦楽四重奏曲第10,11番は、それまでの曲に比べると規模がかなり縮小しています。
また、その後の曲たちも、いくぶんかシンプルな楽想のものが多くなっています。
これは、前作である弦楽四重奏曲第7~9番「ラズモフスキー」が、あまりに壮大過ぎて、ベートーヴェンが期待したほどの評価を得られなかったからと言われています。
もしくは、彼自身、当時の演奏技術が彼の創作に追いついていないと感じたのかもしれません。
実際に、音の響きや密度も、それまでの曲たちとまったく異なっています。
最たる例が、弦楽四重奏曲第11番です。
ベートーヴェンは、この曲に「カルテット・セリオーソ…厳粛な四重奏曲」という副題をつけました。
音楽的内容の厳しさに加え、推敲によって余分なものを全てそぎ落とし、本質的な要素だけで音楽を作ったため、この曲の演奏時間は約20分と短いです。
さらに知人に宛てた手紙ではこのように書いています。
曲の特徴
どちらの作品も、コンパクトにまとまっており、聴きやすいです。
「ラズモフスキー」よりとっつきやすいと感じる人も多いと思います。
一方で、内面性はより深くなっています。
まるで、数々の経験を積んだベートーヴェンの「味」が出ているようです。
第10番「ハープ」は、Es-dur(変ホ長調)という、とても芳醇な響きの調性です。
第11番「セリオーソ」も、後述しますが、ひじょうに複雑な和音が出てきます。
弦楽四重奏曲第10番「ハープ」
第10番「ハープ」は、全30分程度。
優しく、透明感のある曲です。
副題「ハープ」は、1楽章のpizzがハープのように奏でられることから付けられました。
聴きどころとしては、まず1楽章の序奏・テーマの味わい深さ。
先ほども書いたように、Es-durという香り高い調性で書かれています。
次に、交響曲第5番「運命」や第6番「田園」など、数々の経験が生かされている点です。
例えば、下譜の3楽章のテーマ。
この4つの音は、「運命」のテーマを引き続き継承しているものと言われます。
また、3楽章から4楽章はアタッカ(切れ目なく演奏される)で、これも「運命」「田園」の試みを活かしています。
さらに言えば、チェロに積極的に高音やメロディーを歌わせたり、転回和音という技法を多用して同じ和音でも軽さを変えたりしています。
これらの技法は、交響曲第3番「英雄」、前作の「ラズモフスキー」あたりから使われるようになりました。
こうした様々な中期作品の技法が結晶となっており、ひじょうに彩り豊かな響きをしているのです。
弦楽四重奏曲第11番「セリオーソ」
第11番「セリオーソ」は、全20分ちょっと。たいへん短い曲です。
ベートーヴェンが付けた副題のとおり、厳しさがギュッと詰まったような曲…
身が引き締まるような感覚がします。
勢いが注目されがちですが、実はかなり複雑な内面性を持っています。
例えば下譜。
冒頭10数小節で、すでに9度の和音(めちゃくちゃ難しい)が出てきています。
前の小節はもはや11度っぽいですね。実際に先に進むと11度、13度も出てきます。
また、先述のハープのように、これまでの作曲技法を活かして作曲されています。
演奏難易度(バイオリン)
※1stバイオリン、2ndバイオリンを基準としています。
なお、アマチュアの人が休日や部活動で弾くことを想定しています。
総じていうと、上級者向けです。
でも、前作「ラズモフスキー」よりは技術的に弾きやすいと思います。
アンサンブルも多少ラクです(縦合わせ的に)。
また、いざとなったら個人技や勢いだけでもある程度カッコよく仕上がると思います。どちらも映える曲なので。
この曲たちをもっと追求するなら、やはりハーモニー、そして音量バランスを気にしたいところです。調性が難しく、和音も複雑化しているからです。
ひいてはこの曲の「内面の深さ」まで踏み込めるとより美しくなるでしょう!
(注:筆者ができるとは言っていません・・・笑)
まとめ
- 数々の失敗・批判 そして回復
- よりコンパクトな楽想に
- 音の密度が控えめで、聴きやすい
- 中上級者向け(ハーモニーの複雑化)
「傑作の森」終盤の、2つの弦楽四重奏曲を紹介しました。
この後、ベートーヴェンは、スランプのあまり10年余り弦楽四重奏曲の作曲から遠ざかります。
次の弦楽四重奏曲は、なんと「交響曲第9番」の作曲後までお預けです。
この「ハープ」「セリオーソ」は、彼の中期時代の創作性の結晶といえるでしょう。
ぜひその美しさを堪能しましょう!