今回は、メンデルスゾーンの有名な交響曲「スコットランド」を紹介します。
メンデルスゾーンは速筆で、短い生涯のなかでもたくさんの曲を書きました。
しかし、この交響曲は彼が完成までになんと13年もかかったのです。
38歳の生涯の、21歳~33歳をかけた曲。
この記事を読むと、彼はなぜこの曲を書いたのか、人生になにがあったのかが分かります。
簡単なまとめ
- 若きメンデルスゾーンがイギリス旅行で着想を得た
- 20代の発想力と晩年の技法が合わさった名曲
- すべての楽章が切れ目なく演奏される
スコットランド旅行で得た「交響曲の芽」
1830年、フェリクス・メンデルスゾーンが21歳の頃です。
彼は、「マタイ受難曲」蘇演での大成功をきっかけに、イギリスへ演奏旅行に出かけました。
当時、イギリスでは文学的運動が盛んで、特にウォルター・スコットの書いたスコットランドでの歴史小説が広まっていたのです。
そこで彼は、ロンドンでの演奏会のあと、スコットランドへ旅立ったのです。
ハイランドの荒涼とした風景を身に受けながら、彼はスコットランド王の居城として多くの歴史の舞台となった、ホリールド宮殿を訪れました。
このホリールド宮殿は、メアリー女王…王たちの中で最も名高く、悲劇的な運命をたどった歴史がありました。
不幸な星の下に生まれた女王への哀れみ。メアリーの意外なほど質素な私室。廃墟となった礼拝堂…
多感なフェリクスの心は大いに刺激されました。
彼はこの地で、スコットランド交響曲冒頭の16小節を書きました。
夕闇の中、わたしはメアリー女王が暮らし、愛しんだ宮殿に行きました。
下にある礼拝堂は朽ちて、屋根がありません。
メアリーがスコットランド女王として戴冠した祭壇は毀れ、草とツタが生い茂っています。
すべては荒廃し朽ち果てて、澄み切った天が降り注いでいます。
わたしはそこに自分の「スコットランド」交響曲の始まりを見つけたように思います。
晩年期への持ち越し
彼は、スコットランドで得た草案をもとに作曲を続けました。
しかし、その完成は晩年まで持ち越されることになります。
彼はドイツへの帰国後、ベルリンの式典のために、新しい交響曲「宗教改革」への注力を余儀なくされました。
そのため、宗教改革交響曲の完成後に、イタリア旅行をしながらスコットランド交響曲の続きを書こうとしました。
しかし、今度はなんとイタリアの気候・風土が作曲を妨げました。
イタリアがあまりにも明るく晴れやかだったため、彼はスコットランド交響曲を書けなくなってしまったのです。
彼は代わりに、交響曲「イタリア」を完成させました。
その後はさらに忙しくなり…彼は合間のわずかな時間でスコットランド交響曲を書き進めました。
その間、6~7回ほどイギリス訪問も重ねました。
最終的に、この曲が完成したのは当初から13年後…33歳のときでした。
この曲は、若きメンデルスゾーンの感じたみずみずしい情景を持ち越し、中後期の円熟した技法で書かれた、類を見ない曲になっているのです。
曲の特徴
この曲は、イギリス特有の霧がかった気候や、ハイランドの荒涼とした景色が呼び起こされるようです。
「彼がイタリアに居たときはこの曲を書けなかった」ことからも、この曲の雰囲気が大切にされているのが分かりますね。
また、この曲の最大の特徴として、1~4楽章通して切れ目なく演奏されます(全てアタッカ)。
曲全体でひとつの小説を読んでいるような感覚です。
第1楽章
3分ほどの、雄大な序奏から始まります。
若かりし彼がスコットランドで得た着想を味わえます。
その後の主部も、序奏のテーマをもとに描かれます。
スコットランドの雲の広がる風景、その合間で時おりきらめく光が感じられます。
第2楽章
4~5分の短いスケルツォです。
メンデルスゾーン十八番のスケルツォですが、楽器の数が多く景色の広さを感じます。
また、バグパイプ風の旋律が現れ、どことなくスコットランド民謡を思わせます。
第3楽章
メンデルスゾーンの「無言歌」という歌曲風の楽章です。
愛とも、悲劇とも取れるような主題。
一種のドラマ性が感じられます。
一説によると、この楽章はベートーヴェンの弦楽四重奏曲「ハープ」と類似しているようです。
ただ、筆者はハープ・スコットランドともに弾いたことがありますが…演奏していて似ているとは正直感じませんでした。
第4楽章
激しい波のような楽章です。
メンデルスゾーンは、この楽章を “guerriero” …戦闘、戦士だと形容しています。
スコットランドの歴史小説による戦いを表しているのかもしれません。
小節線・拍をまたぐスラーが特徴的です。
時には渦巻くように、時には勇壮に歌われつつ、最後の方で波が引いていきます。
波が完全に引くと、チェロによる長調が奏でられます。
そして最後はffの合奏により明るく終わるのです。
メンデルスゾーンはこの最後を勝利の歌と喩えていますが、そのイメージは聴く人によってさまざまかもしれません。
演奏難易度(バイオリン)
※アマチュアの人が休日や部活動で弾くことを想定しています。
技術的には、標準~やや難しいレベルです。
高い音はあまり出てこないので左手はラクなほうです。
一方で、右手は器用さを要求されます。
相当上手い人でも、2楽章の踊るようなスケルツォや、4楽章の独特なリズムにはあらかじめ慣れる必要があります。
アンサンブルも、4楽章が難しいです。
難しい理由が、先ほども紹介したこの音型です。
特徴的ではあるのですが…
16分を後ろに詰めすぎたり、16分を強拍かのように弾いたりしてしまうのは、個人的に微妙だと思っています。
音楽全体での拍感が無くなり、アンサンブルが崩れやすいからです。
あと、この曲のバイオリンは体力的にしんどいです(笑)
というのも、譜面を見ていただければわかると思いますが…
たとえば1楽章の1stだと、アレグロに入ってから最後の430小節のうち、400小節くらいはずっと弾いています。
しかも全楽章アタッカ(切れ目がない)なので、楽章間にひと息つく暇もないのです。
特に、毎日弾く暇がない社会人プレイヤーは、体力をコントロールしながら弾いたほうがよいです。
まとめ
- 若きメンデルスゾーンがイギリス旅行で着想を得た
- 20代の発想力と晩年の技法が合わさった名曲
- すべての楽章が切れ目なく演奏される、小説のような構造
メンデルスゾーンの生涯の3分の1をかけて作られた名曲を紹介しました。
なお、メンデルスゾーンは都合7~8回ほどイギリスに訪れており、イギリスの人たちも彼を熱烈に歓迎したそうです。
この曲も、最終的に当時のヴィクトリア女王に献呈されました。
彼は出身地ベルリンであまりよい待遇を受けていなかったこともあり、潜在的なイギリス愛があったのかもしれませんね。