「第九の後の世界」——
年末になると、ベートーヴェンの《第九》を聴く人も多いのではないでしょうか。
では、その “第九の後の世界” をご存じでしょうか?
その答えの一つが、後期弦楽四重奏曲の入口、弦楽四重奏曲第12番です。
“第九の後の世界” を味わえるのは、後期弦楽四重奏曲ならでは。
堂々とした和音で幕を開け、深い和声の世界へと沈み込んでいく——
この作品は、ベートーヴェンが到達した新しい音楽世界の幕開けでもあるのです。
彼の後期弦楽四重奏曲は全五曲あり、いずれも強烈な個性を放ちます。
その中で第12番は比較的道筋が見えやすく、筆者も大好きです。
後期弦楽四重奏の入口として、非常におすすめの一曲です。
本記事では、作曲の背景から各楽章の聴きどころ、そして奏者の視点まで、この一曲の魅力を解説していきます。
ベートーヴェンの最晩年の奥深さ、ぜひ知ってください!
- この曲の特徴と生まれた背景
- ベートーヴェンの後期弦楽四重奏のすごさ
- 各楽章の聴きどころ
この曲はどのように作られた?
大曲を書き終えた作曲家の「12年ぶり」の弦楽四重奏曲
本作は、弦楽四重奏曲として、第11番「セリオーソ」から実に12年もの空白があります。
冒頭にも述べたとおり、交響曲第9番の完成後にあたります。
この間、彼は、すべてのピアノソナタと交響曲を書き終え、作曲家として一つの大きな節目を迎えていました。
54歳。第九の初演を終えた彼は、それまでに積み重ねてきたあらゆるジャンルでの経験を背負いながら、新たな表現へと踏み出す地点に立っていたのです。
ガリツィン侯爵の依頼と、比較的穏やかな晩年の一時
この弦楽四重奏曲群の直接のきっかけとなったのが、ロシア・ペテルブルクの音楽愛好貴族、ニコライ・ガリツィン侯爵からの依頼でした。
1824年、ベートーヴェンのもとに「2曲、あるいは3曲の弦楽四重奏を作曲してほしい」という
ガリツィン侯爵からの手紙が届きます。
ベートーヴェンは第九を作曲した後、この依頼を受けたのです。
そして、最初に完成したのが本曲(第12番)でした。
その時は第九やミサの作曲で手が付けられなかったのです!
この依頼を受けた当時、ベートーヴェンは精神的にやや落ち着いた時期だったとも伝えられています。
彼の愛する甥カールや弟ヨハンがたびたび訪れ、
また、熱心な支持者が来た際には、めったにないピアノ演奏を披露したり、ワインでもてなしたりすることもあったようです。
もっとも、彼の耳は完全に聴こえない状態にありました。
音楽はもはや現実の音を頼りに書かれたものではありません。
すべては想像の中で響く和音を組み上げていく、きわめて内的な作業でした。
それでも第12番には、切迫感よりも芯の通った確信が感じられます。
第九までの激烈な世界を越えた後、深く内側へと向かう——
その第一歩として、この四重奏曲が書かれたことは、決して偶然ではなかったのでしょう。
曲全体の特徴|後期のなかでは安定した一曲
ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲は、どれも聴き手として一筋縄ではいかない作品です。
音楽の進み方も時間の感覚も、それまでの四重奏曲とはまるで違います。
その中で、この第12番は、まだ全体の流れを追いやすい一曲です。
- 堂々たる幕開けのマエストーソ:第一楽章。
- 夢見るように漂うアダージョ:第二楽章。
- リズミックなスケルツォ:第三楽章。
- そして王道のソナタ形式:第四楽章。
構成も「まだ」王道で、
楽章数も「まだ」4楽章構成(笑)。
後期四重奏の中ではもっとも耳なじみがよく、安定感があります!

とはいえ、決して「軽い」音楽ではありません。
声部の絡み方や和音の響きには、すでに後期ならではの深さがしっかりとあります。
ほぼ聴力を失っていたにもかかわらず、想像の中だけでこの響きを描き出したことに、ただただ驚かされます。
- 前作「セリオーソ」から12年ぶりに書かれた、人生経験の極致の曲群
- 第12番の作曲時期は、精神的にやや落ち着いた頃だった
- 後期弦楽四重奏のなかでは安定していて聴きやすい!
各楽章の聴きどころを紹介!
第1楽章|堂々たる和音が告げる、後期の始まり
※古い音源なので聴きづらいかもしれませんがご了承くださいm(__)m
曲は、威厳に満ちたマエストーソの和音で始まります。
この和音は、楽章の中で三度現れ、そのたびに強い存在感を放ちます。
そこから一転、1stVnのルバートに導かれ、自由な世界が広がっていきます。
達観のような自信と優雅さが同居したこの楽章は、
この曲全体の性格をそのまま映し出しているようにも感じられます。
第2楽章|17分間の夢と祈り
第2楽章は、夢のような12/8拍子の緩徐楽章です。

この楽章のすごいところは、変奏曲風であること。
ゆったりとした時間の中に、祈りのような響き、軽やかなリズムなどが交錯します。
この楽章が「冗長」と感じさせないのは、
数々の変奏により独特の「時間」を生きているからかもしれません。
第3楽章|煌めくリズムに潜む、異様な緊張感
第3楽章は、拍子感のはっきりしたスケルツォです。
リズミックで、音の一つひとつがきらきらと輝くような楽しさがあります。
ところが、途中で現れるプレストのトリオは、
一気に空気を変え、どこか狂気じみた緊張感を漂わせます。

まさに狂気の表れ…!
この落差の激しいシーンの挿入も、後期ベートーヴェンに見られる作風のひとつです。
第4楽章|「大人びた」アレグロの終楽章
終楽章は、全体として明るく快活な性格を持っています。
ただし、若々しい勢いというよりは、どこか大人びた落ち着きが感じられます。
音楽は終盤まで朗らかに進みますが、
コーダまで到達すると、少しゆるんでリラックスした優雅さに。
版によっては、「Allegro comodo(快速に、しかし楽に)」という指示があります。
盛り上がりながらも、気風よく曲を締めくくるのです。
激しさよりも、達観。
この終わり方もまた、作曲家の極致らしい姿と言えるのかもしれません。
演奏者の視点|それまでの四重奏曲とは全く違う!!
この曲、聴いている分には「とても深い音楽」をたっぷり味わえます。
ところが、いざ弾く側に回ると、話はまったく変わってきます。
まず、休めません。
本当に休めません。
どう考えても、演奏者の人数が足りないのです。
主旋律を弾いているかと思えば、
次の瞬間には内声で和音を支え、
気づけば重音の嵐に巻き込まれています(笑)

練習中、何度そう思ったかわかりません(汗)
特にビオラチェロの重音の量は異常。
ベートーヴェンさん、どう考えても五重奏か六重奏にしたほうがよかったのではないでしょうか。

と募集したくなるほどです…
さらに、フレーズもめちゃくちゃ長い。
集中力も体力も、容赦なく削られていきます。
それでも不思議なもので、
弾き終えたあとには、すさまじい達成感が残ります。
過酷なのに、なぜかもう一度向き合いたくなります。(いや、ならないかも笑)
この曲が「後期の幕開け」と思える理由は、
もしかすると、
聴き手にも、演奏者にも、
しっかりと「覚悟」を求めてくるからなのかもしれません(笑)
まとめ|第九のその先に広がる、深遠の世界
- 第九の後だからこそ生まれた、新しい弦楽四重奏の世界
- 堂々としたマエストーソに始まる、威風さと優雅さの交錯
- 後期弦楽四重奏の入口として非常におすすめ!
年末になると、《第九》を聴く機会が増えます。
しかし、第九の後にベートーヴェンがどんな音楽を書いたのか。
そこまで耳を伸ばす人は、意外と多くないかもしれません。
弦楽四重奏曲第12番はそんな第九の後の世界を知れる、
後期の幕開けの一曲です。
構成は王道ですが、中身は決して単純ではありません。
声部の絡み、和音の深さ、音楽の重み。
すでに後期ならではの世界が、隅々まで満ちています。
常人では到底察せない心情があったのかもしれません…!
もし今年、《第九》を聴いたなら。
その流れで、ぜひこの第12番にも耳を傾けてみてください。
ベートーヴェンが最後にたどり着いた世界への確かな入口が、そこにあります。











