ドヴォルザークの交響曲第6番。
この曲は、全体的に明るく、のびのびとした楽想です。
一方、ドヴォルザークの曲のなかでは、あまり有名ではありません。
しかし、彼の音楽を詳しく知るうえで、この曲はとても重要なのです。
この曲は、彼が意識的に民族音楽を交響曲に取り入れた最初の曲であり、また彼の名を国際的に広めるきっかけともなった曲でもあるのです。
第3楽章の「フリアント」をはじめ、独特な楽想も多く登場します。
この記事では、バイオリン歴35年以上・コンクール入賞歴ありの筆者が、ドヴォルザーク/交響曲第6番について解説します。
ドヴォルザークの人物像や、この曲のバックストーリーを簡単に解説し、聴きどころや演奏面についても紹介していきます。
簡単なまとめ
- 彼の作曲スタイルが確立した曲
- ブラームスに大きく影響を受けた曲構成
- 3楽章の「フリアント」をはじめとする独特の民族性
- 弾くだけなら難易度は標準的。音楽性の追求余地が深い
ドヴォルザークの人物像
故郷での音楽教育の影響
まずは彼の人物像を簡単に紹介します。
ドヴォルザークは、チェコの北ボヘミアにある農村出身です。
当時のボヘミアでは、農村の音楽教育がとても盛んでした。
ドヴォルザークの旋律にボヘミアの民族性を感じるのは、この故郷で受けた音楽教育が源泉だと言われています。
彼は農村で弦楽器を習い、のちにその技術が認められて音楽家として歩んでいくことになります。
社交的で親しみやすい性格
ドヴォルザークは、とても社交的でおおらかな性格でした。
彼は、もともと音楽家ではなく「肉屋兼旅館の後継ぎ」として育てられました。
常に他の村々との交渉を見ており、また彼自身もたくさんのコミュニケーションの機会があったのです。
彼はまた、愛妻アンナと6人の子宝に恵まれ、円満な家庭を築きました。
彼の温かく親しみやすいメロディーには、穏やかな性格、その裏に隠された沢山の苦労が礎となっているのでしょう。
交響曲第6番のバックストーリー
ブラ-ムスの影響
ドヴォルザークが、長い下積みの時代から抜け出すきっかけとなったのは、ブラームスの影響が非常に大きいです。
1870年代に、ドヴォルザークはオーストリア政府の国家奨学金制度に応募しましたが、その審査会の一員としてブラームスが参加していたのです。
ドヴォルザークが奨学金審査に通った後、ブラームスはこの若きチェコの作曲家の才能にいち早く目をつけました。
そして、彼の作品を大手出版社であるジムロック社に紹介したのです。
運よくジムロック社は、ちょうどドヴォルザークのような国民学派の音楽を広めたいと思っていました。
ジムロック社はドヴォルザークの作品を次々に出版し、彼の名前はチェコ国外においても広く知れ渡るようになったのです。
このように、ブラームスはドヴォルザークの国際的な名声を上げていく上で非常に重要な役割を担ったといえます。
また、後にドヴォルザークはブラームスとより密接に親交を深め、作曲技法など多くの点で影響を受けることとなりました。
スラブ民族音楽の研究
ジムロック社は、ドヴォルザークに対して、かの「ハンガリー舞曲」に匹敵するような舞曲集の作曲を依頼しました。
ドヴォルザークは、もともとボヘミア育ちだったこともあり、すでにチェコの特徴的な音楽が染みついていました。
しかし彼は、ここからさらに研究を重ねたうえで、ひじょうに民族感のあふれる「スラブ舞曲集」を作曲しました。
このスラブ舞曲集は大ヒットし、ドヴォルザークはヨーロッパ中で有名になったのです。
この頃から、ドヴォルザークはスラブ民族音楽をより積極的に作曲に取り入れるようになりました。
例えば…バイオリン協奏曲、弦楽四重奏曲第10番、弦楽六重奏曲などです。
そして、交響曲の分野においても、民族的な語法を大いに用いた作品を生み出していくようになります。
そして、彼のスラブ研究の集大成といえるのが、1880年に作曲された交響曲第6番なのです。
ブラームス2番そっくりの作品
交響曲第6番は、ブラームスの交響曲第2番を初演したハンス・リヒターの要望で書かれました。
先述したように、ドヴォルザークはブラームスと親交を深め、多くの作曲技法を参考にしていました。
そのため、この曲はブラームスの作風にひじょうに似ており、特に第1・4楽章はブラームスの第2番にそっくりなのです。
(また、交響曲第6番の初演はウィーンで予定されており、ウィーンではブラームスのような音楽が流行っていたので、
ドヴォルザークが当地での聴衆の趣向に合わせたとも言われています)
さて、この交響曲を献呈されたリヒターは、出来栄えを称賛したものの、なぜか理由をつけてなかなか初演しようとしませんでした。
実は…当時ウィーンでオーストリア帝国内の民族運動への反感が高まっており、チェコ人の作品を取り上げにくい情勢になっていたのです。
しびれを切らせたドボルザークは、結局プラハで初演を行ってしまいますが、リヒターはその不義理を埋め合わせるかのように1882年にロンドン公演でこの曲を演奏しました。
ロンドンの演奏会は大成功。これにより、ジムロック社から出版された本作の楽譜も諸方面から注目を集めました。
そして、彼はついにロンドン・フィルハーモニック協会から交響曲第7番の作曲を依頼されるまでになったのです。
この交響曲第6番はいわば、ドヴォルザークの名声を確固たるものにさせた曲なのです。
曲の特徴
全体の特徴
全体としては、がっしりした西洋音楽らしい曲です。
しかし、そのなかに、ドヴォルザークらしい民族的なリズム・ハーモニーもあるのが魅力です。
最たる例が、第3楽章の「フリアント」という激しい民族舞曲です。
また、前述したように、ブラームスの交響曲第2番と似ています。似すぎだろってくらい
第1楽章を聴くだけでもとりあえず10箇所くらいは出てきますね。
そういった箇所を探すのも含めて、楽しむ曲だと思います(^^)
作曲家の人生や価値観って、本当に音楽に如実に表れてくるので…つくづくすごい芸術だなあと感じさせられます。
第1楽章
「春を迎えたチェコの人々の幸福な気持ち」がえがかれていると言われます。
その通り、晴れやかな気持ちで歩きたくなるような楽想です。
もう、最初からブラ2(ブラームスの交響曲第2番)の要素満載です。
第2楽章
ハーモニーの美しさを前面に出した、穏やかな楽章です。
メロディーメーカーと名高いドヴォルザークですが…
この楽章に関してはメロディーはもとより、整った和声進行が素敵だと感じます。
個人的にはこのようなスタイルもブラームスに似ていると思います。
第3楽章
「フリアント」と言われる農民の激しい踊りです。
楽譜上は全て3拍子で書かれていますが、実際には「2拍子×3」の後に「3拍子×2」が続きます。
特にティンパニが強烈で、この2拍子/3拍子の要素をこれでもかと言わんばかりに叩き続けます。
この変則的なリズムと急速なテンポがあいまって、力強く推進力があり、かつ激しい曲想を聴く者に印象付けます。
この曲の初演の時は、このスケルツォ楽章のアンコールが要求されたというのですが、さもありなんと思える素晴らしさです。
現在の演奏会でも、(初演に則って)この楽章がアンコールに採用されることがあります。
第4楽章
美しく、息の長い旋律で始まります。
西洋のロマン派を感じさせる楽章です。
しかし曲が進むと、踊るような強めの拍感が出てきます。
これら踊るような拍感と西洋音楽との対比や、ミックスがとても面白い楽章です。
それと、冒頭はまたしてもブラ2(4楽章)とそっくりです。
とても美しいのですが、ついでに弾きにくさもブラ2にそっくりなのですよね…笑
演奏難易度(バイオリン)
※アマチュアの人が休日や部活動で弾くことを想定しています。
弾くだけなら標準的な難易度です。
しかし音楽性を追求するとわりと難しいです。
まず大変なのが「音程・ハーモニー」。
この曲はブラームスに似て、「ハーモニーあってこそのメロディー」という印象が強い曲です。
そのため、音程作りには注意をよく払わなければなりません。
もうひとつ大変なのが「主題の息がとても長いこと」。
弦楽器奏者は、「弓」の扱いによって音楽に呼吸感(いわゆるフレーズや発音)を持たせています。
しかし、この交響曲は下記のように8小節位の超長いフレーズがたびたび出てきます。
こういったフレーズが来ると「うわ…どうやって弓返したら不自然にならないかな…」と身構えてしまうのです。
特に、第4楽章が大変。
アウフタクトが多いし、裏拍から始まる長いスラーが多くて強拍がおざなりになりがちだし、弓の都合が出やすいのですよね。
これらの理由から、筆者はこの曲の難易度を下記のようにとらえています。
・弾くだけなら標準的な難易度
・音楽的に完成させるには、けっこう緻密な練習が必要
まとめ
- 彼の作曲スタイルが確立した曲
- ブラームスに大きく影響を受けた曲構成
- 3楽章の「フリアント」をはじめとする独特の民族性
- 弾くだけなら難易度は標準的。音楽性の追求余地が深い
ドヴォルザークの交響曲第6番を紹介しました。
彼はもともと作曲家としては晩成気味でしたが、この頃から技法が成熟します。
また、作曲スタイルも固まりはじめ、多くの名作を残すようになるのです。
そんな時期の彼の代表作です。ぜひ機会があれば味わってください!