重いティンパニの連打の上を、軋みながらせり上がる半音階――
ブラームスの交響曲第1番は、息が詰まるように幕を開けます。
しかしこの曲はそこから45分をかけて、少しずつ光のほうへ抜けていきます。
「暗から明へ」という音楽の流れで、ハ短調から出発し、最後はハ長調へ向かうのです。
驚くことに、ブラームスはこの1曲を書き上げるのに21年を費やしました。40歳を過ぎても、まだ完成には至らなかったのです。
21年もの歳月がかかった理由は何だったのかーー?
この記事では、バイオリン歴35年以上の筆者が、交響曲第1番の作られた経緯、聴きどころやおすすめ名盤まで解説します。
- 交響曲第1番の完成に21年もかかった理由
- 楽章ごとの聴きどころと、押さえたい旋律
- 最初の1枚に選びたいおすすめ名盤3選
交響曲第1番はどう作られた?
交響曲を書こうと思ったきっかけ
大きなきっかけは、ひとりの恩師。
ロベルト・シューマンです。
シューマンは、若かりしブラームスを世に紹介した立役者です。
1853年、20歳のブラームスはまだ無名の若者でしたが、シューマンは彼の才能を見出し、雑誌「音楽新報」で大々的に紹介したのです。
青年は一夜にして注目を浴び、まず世に羽ばたくきっかけとなりました。
ブラームスが交響曲を書きたいと本気で思ったのは、その少しあと、22歳の頃だといわれています。
きっかけになったのは、やはりシューマンの劇音楽『マンフレッド』でした。
この曲は、劇音楽ながら編成が分厚く、特に金管が充実しています。ブラームスが交響的な音楽を目指すのに十分なきっかけだったのでしょう。
交響曲第1番に着手したのは、この20代の頃でした。
しかし後述するプレッシャーのためか、作曲はなかなか思うように進みませんでした。
彼が書き溜めた素材の一部は、ピアノ協奏曲第1番や『ドイツ・レクイエム』へと散っていったのです。
完成まで21年かかった理由
大きな理由は、ベートーヴェンの存在です。
ブラームスは友人の指揮者に宛てて、こう漏らしています。
9つの交響曲を遺したベートーヴェン。
数十年前に世を去りましたが、その名声はすでに音楽界に轟いていました。
ブラームスは生涯、このベートーヴェンという亡き巨匠のプレッシャーに悩まされたのです。
それでも1862年、29歳のときにようやく第1楽章の原型が書き上がります。ただしこの時点では、あの重苦しい序奏はまだありませんでした。
そこから曲は10年以上眠ります。再び筆が動いたのは41歳の夏で、全曲が完成したのは1876年秋、43歳のときでした。
それでもブラームスは手を止めません。初演のあとも改訂を重ね、決定稿が出たのは翌年だったのです。
実は、ブラームスの感じたプレッシャーは交響曲だけでなく弦楽四重奏曲にも表れていたと言われます。
彼が若かりし頃に作ったのは、ベートーヴェンの書かなかった弦楽六重奏曲ばかり。
一方で、弦楽四重奏曲は中年になるまで世に出なかったのです。
この曲の大きな特徴
一言でいえば、「暗」から「明」へ抜けていく交響曲です。
ハ短調で始まり、終楽章でハ長調に到達します。
これは、ベートーヴェンの「運命」とまったく同じ道筋です。
初演を聴いた指揮者ハンス・フォン・ビューローは、この曲を「ベートーヴェンの第10交響曲」と呼びました。最大級の賛辞です。
また、細部の構造にもブラームスの執念が刻まれています。
- 半音階の動機が全楽章を貫いて登場する
- 中間楽章に、定石であるスケルツォがない
- トロンボーンは終楽章まで沈黙し、一番のポイントで姿を見せる
さらに、楽章ごとの調性の並びも独特です。ハ短調→ホ長調→変イ長調→ハ長調と、長3度ずつ移っていきます。古典派では近い調へ動くのが定石でしたから、ここにも彼の探究心が表れています。
【基本データ】演奏時間 約45〜50分/編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット1、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦五部
交響曲第1番の聴きどころ
第1楽章|半音階が軋む、プレッシャーの音楽
▶第1楽章 冒頭 ※古い音源につき、聴きづらさ等ご容赦ください
いきなり、逃げ場のない音が鳴り響きます。
ティンパニと低音楽器がひたすら同じCの音を打ち続け、まるで心臓の鼓動のようです。その上で、バイオリンとチェロは半音ずつ上へ、木管とビオラは下へ動いていきます。同じ音から出発した者どうしが、少しずつ引き裂かれていくような響きです。
やがてオーボエが切ない旋律を歌い、音楽は主部へと導かれます。
▶第1楽章 主部
そこからはまさに闘いです。2ndバイオリンとビオラが鋭いリズムを刻み、6/8拍子のうねるように力強い旋律が導かれます。
この鋭いリズムも、半音階の動機で奏でられていることに注目です。
のちにこのリズムが「運命の動機」と呼ばれるまで発展すると、音楽は一気に牙をむきます。
最後、嵐は不意に鎮まります。速度が緩み、ほんの一瞬だけ長調の光が差して、楽章は静かに閉じられます。
この一瞬の光が、終楽章への長い伏線になっています。
第2楽章|バイオリンソロが歌う楽章
▶第2楽章 冒頭
ホ長調の癒やされるような楽章です。
序盤では、弦とファゴットが気高い旋律を静かに歌い出し、それがオーボエへ受け渡されて豊かさを増していきます。
中間部に入ると、木管楽器が細やかな旋律を絡ませ合います。ここから不穏に発展し、空気が張り詰めます。
そして終盤。オーボエの旋律にコンマスソロが寄り添い、第1ホルンが加わって静かな頂点を築きます。この曲屈指の聴かせどころです。
▶第2楽章 コンマスソロ
最後はコンマスが天にも届くロングトーンを響かせるなか、消えるように終わります。
第3楽章|スケルツォを置かなかった楽章
▶第3楽章 クラリネットの主題
表向きはのどか、でも動きのある楽章です。
どこかへと向かいたそうなピチカートの乗せられて、クラリネットが牧歌的な旋律を奏でます。
実は、この楽章にスケルツォもメヌエットもないのです。
古典派の交響曲なら、第3楽章には三拍子の舞曲が来るのが定石でした。
ブラームスは4つの交響曲すべてで、この定石を避けています。
中間部で少し熱を帯びたあと、音楽はふたたび落ち着いていきます。そして楽章の後半では、終楽章の主題を予告するような旋律が、そっと顔を出します。
求めている「明」はもうすぐです。
第4楽章|ホルンが告げる「明」への転換
▶第4楽章 冒頭
この曲の暗さが再び戻ってきます。
弦のピチカートが少しずつ速度を上げ、緊張が限界まで高まります。
そして音楽がふっと鎮まった瞬間、ホルンが鳴り渡ります。
▶第4楽章 ホルンのソロ
山の向こうから響いてくるような、雄大な旋律です。ここで一気に視界が開けます。
この旋律には、とても素敵な標題があります。
恩師シューマンの妻、クララ・シューマンの誕生日に宛てた手紙に、歌詞つきで書かれていたのです。
フルートがこだまのように旋律を返し、続いてトロンボーンが荘厳なコラールを奏でます。この曲で初めてトロンボーンが鳴る瞬間です。
そしてアレグロに入ると、弦楽器がハ長調の主題を高らかに歌い上げます。
▶第4楽章 アレグロ
ベートーヴェンの第九に登場する「歓喜の歌」を思わせる旋律です。
熱は上がり続け、最後は歓呼の響きのなかで全曲が終わります。21年が、ようやく報われるのです。
🎧 交響曲第1番をフルで聴く(Amazon Music Unlimited・無料体験あり)
弾く側から見た交響曲第1番の難所
奏者にとって、この曲の難所は速いパッセージではありません。
問われるのは、一にも二にも和声感と音程感です。
たとえば冒頭の半音階。楽譜の上では、ただ半音ずつ上がるだけの音型に見えます。
けれど実際には、低音でCの音が鳴り続けています。
その響きから自分の音が乖離していく感覚をつかみ、ちょうどよい音程を探り当てなければなりません。
もう一箇所挙げるなら、第4楽章のアレグロの9小節目。同じフレーズが3度繰り返されます。
同じことを3回弾くとなると何かを変えたくなるのですが、その秘密はやはり和音。
裏で鳴っている和音が毎回変わっているのです。
その和音から何を感じ取り、どう音に返すか。
ブラームスを演奏する上でとても難しいところです。
まとめ
- ハ短調からハ長調へ、45分かけてたどり着く夜明け
- 曲を支配する半音階の動機
- 恩師の妻への想いが刻まれた、ホルンソロ
21年という歳月は、葛藤の記録。
同時に、ベートーヴェンというプレッシャーから逃げなかった記録です。
45分は決して短くありません。
それでも、第4楽章のホルン、そしてアレグロにたどり着いたとき、この曲が長い理由がきっと腑に落ちるかもしれません。
ブラームス交響曲第1番のおすすめ名盤3選
カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(特に1963年版)
造形が引き締まっているおすすめ盤。
厚みのある響きなのに重くならず、バランスの取れた素晴らしい演奏です!
ミュンシュ/パリ管弦楽団
とにかく熱量の高い演奏!
終楽章へ向かって燃え上がっていきます。その場で音楽が生まれる生々しさを求める方に向いています!
ザンデルリング/シュターツカペレ・ドレスデン
重心の低いどっしりとした響きが特徴。
内声までじっくり鳴らすので、この曲の魅力がいちばんよく見える1枚だといえます。
🎧 紹介した音源はAmazon Music Unlimitedで聴き比べできます
いずれも配信中で、他のサービスと比べてもクラシック曲の多さが魅力です!
初めての方は30日間の無料体験で聴き比べが可能です(無料期間後は有料更新となる点にご注意ください)。

🎵 あわせて読みたい関連記事
- 【解説】ベートーヴェン/交響曲第9番「合唱付き」|歓喜の歌が響く名曲
ブラームスが怯え続けた亡き巨匠、ベートーヴェンの大作。特に第4楽章を聴くと、この曲がいかにブラームスに影響を与えたかが分かります。 - 【解説】ブラームス/弦楽六重奏曲第1番|若き情熱が宿る名作
20代のブラームスが書いた室内楽の傑作です。六重奏という先駆者のいないジャンル。交響曲とは違ってのびのびとした音楽が楽しめます。


















