明暗を織り交ぜたスラヴの歌たち——
チャイコフスキーの「スラヴ行進曲」(スラブ行進曲)は、
当時の戦争の不安と民族の心情を描いた、力強い一曲です。
全体は10-11分ほど。
重苦しい中低音の挽歌から始まり、民族的なリズムが心を掻き立てます。
チャイコフスキーはもともと民族性を取り入れるのが得意な作曲家でしたが、この曲はそれが際立っています。
背景には何があったのでしょうか…?
本記事では、バイオリン歴35年以上の筆者が、
スラヴ行進曲の作曲背景、魅力や聴きどころを演奏者目線で解説します。
- スラブ行進曲の基となったできごと
- 当時の戦時情勢
- 楽曲の構成と聴きどころ
この曲はどうやって作られた?
セルビア-トルコ間の戦争

この曲のもととなったのは、1876年の戦争です。
宗教弾圧を受けていたスラヴ人の国セルビア(キリスト正教徒)が、オスマントルコ帝国に宣戦布告したのです。
スラヴの同胞ロシアでは、義援金と義勇兵募集の運動が活発になりました。
ただ、一時期セルビアは劣勢で、義勇兵の従軍についてはかなり無謀だったそうです。
チャイコフスキー本人も、知人の女性が息子の従軍宣言に失神するといった「胸を引き裂くような場」を目撃したそうです。
※スラヴは東ヨーロッパを中心とするスラヴ民族全体を指します。
ロシアはその血を引いているとされます。
慈善演奏会の企画

戦争が激化する中、チャイコフスキーの恩師:ニコライ・ルビンシテインは、
負傷者のための慈善/追悼演奏会を企画しました。
チャイコフスキーはこの企画に賛同し、スラヴ由来の旋律をたっぷり込めた曲を作りました。
これこそが、本曲「スラヴ行進曲」です。
もっとも、曲が完成した頃にはセルビアだけでなく、ロシア・トルコ戦争という名称に変わっていました。

熱狂的な成功を収めました!
- 当時のセルビア-トルコ間戦争がきっかけ
- 同胞のスラヴ人に哀悼の意を込めて作った曲
- スラヴ由来の旋律がたっぷり込められている!
曲の特徴と聴きどころを紹介!
この曲は、南方スラヴ(セルビア付近)のメロディをいくつか主題として使っています。
独特の音階がもたらす雰囲気…
そして哀愁や勇ましさといった移り変わりが魅力ですね。
ちなみに、はじめは「ロシア・セルビア行進曲」と名付けられていましたが、
出版の時に「スラヴ行進曲」と改められました。
冒頭

※古い音源なので聴きづらいかもしれません!(以下同様)
“Moderato in mode di marcia funebre”
「葬送行進曲の雰囲気のように、程よい速さで」という意味です。
重苦しいファゴットとビオラによる挽歌から始まります。
これは、セルビア民謡「太陽は明るく輝かず」から引用されています。
このテーマは楽器を変えて何度も現れます。
中間部

同じくセルビア民謡の「懐かしいセルビアの戸口」からの快活なメロディー。
明暗をとりまぜながら、他にも、スラヴ風の主題が次々と出現します。
曲はやがて、戦争の不安と激しい戦意を描き出していきます。
「セルビア人は敵の銃を恐れない」という民謡からの勇壮なメロディーが繰り出されます。
終盤

帝政ロシア国歌「神よ、皇帝を護りたまえ」が力強く奏でられます。
強烈なクライマックスに達して、スラヴ民族の勝利を確信するような力強さのうちに終わります。
まとめ|短くも印象に残る標題音楽の名作
スラヴ行進曲は、当時の戦時情勢にセルビア民謡を上手く取り入れた名曲です。
哀愁を感じながらも力強い旋律の数々。
また、長すぎずとっつきやすいのも魅力です。
機会があれば、ぜひ聴いたり演奏にチャレンジしてみてください!
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